第5回「日本近現代史を読む」学習会 昼の部を開く


第5回学習会を5月28日に開き、8名が参加し、第7章と第8章を読み合わせと討論を行いました。
討論では、「本文66ページの『小作地率の変化』を見ると、小作地が一番多い時で、50パーセントだが、戦前の農業で寄生地主というイメージと違うがどの様に見たら良いか」「自作農の中にも零細な農家もあり、生活は大変だったのでは、また自作地に働きにくる『作男』という人々がいた。この人たちの生活も大変きびしく、社会的にも差別をされていた。」「教育と教化のところで、日露戦争の時期になると就学率は100パーセントとなった。ということで良いイメージを持っていたが、教育の目的が『国民の認識や意識を操作する』事にあった。との指摘に改めて何を目的に就学率を高めたのかの目的に、ハットさせられた。今日でも『教育基本法』が変えられ、道徳教育の内容が変えられている。」「日露戦争後に、日本は巨艦巨砲主義の道に突き進んだという指摘があるが、この道を主導したのが、当時軍神とされていた日露戦争を主導した東郷平八郎である」「日本に社会主義思想が入ってくるのは、明治初期からで社会主義思想が広がったのは、必ずしもロシア革命の影響ではなかった。しかし、当時の支配層は治安警察法で弾圧する体制をつくり、大逆事件をでっち上げで社会主義思想と運動が国民の中に広がるのを恐れた」「テキストにはロシア革命を『社会主義体制の成立をめざして成功した革命』と言っているが、ロシア革命をどのように評価すべきか。当時のロシアの人々は、平和と食料を求め、この運動により皇帝の政治は倒されたが、最終的にこの国民の要求を受け止めて革命を成功させたのは、社会主義者であった。この人々は、社会主義を目指したが、その後『市場経済を通しての社会主義へ』という方針に移り、それが実現する前にレーニンは死亡しこの道は中断されてしまった」など意見が出されました。
次回は、6月22日(金)午後2時より4時15分。会場は、「アイセル21」第42集会室。内容は、「第9章 ワシントン体制と大正デモクラシー」と「第10章 世界恐慌と軍縮破綻への道」の読み合わせと意見交換。持ち物は、「日本近現代史を読む」(新日本出版社発行)

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