第10回『資本論』学習会 第3篇「絶対的剰余価値の生産」、7章「剰余価値率」を学習する


静岡市社会科学学習会は、7月23日(木)「アイセル21」にて『資本論』学習会を開き、第7章「剰余価値率を学び討論を行いました。

 討論では「シーニアの最後の一時間の主張で、原料と材料と労働力の補填に10時間の労働が必要という主張は、ある程度理解ができる」「シーニアのように労働時間を生産物の価値で全部を均等に割その結果最後の一時間で純利益が生産されると言う考えは可笑しい」「マルクスは生産物の価値の内、生産手段の価価つまり材料や補助材料、機械などの価値は労働の具体的側面で生産物に移り保存され、労賃と資本家の利益の部分は、労働の抽象的側面で生産され、利益は労働力の価値を超えた部分と言っている」「シーニアの議論は、生産物価値すなわち生産手段の価値と労働力の価値と剰余価値を合計した価値と、それと価値生産物つまり労働力の価値と剰余価値を合計した価値を混同している所に問題点があるのではないか」「『資本論』で『彼の労働が綿花と紡錘とで糸をつくることによって、すなわち彼が糸を紡ぐことによって、綿花と紡錘との価値はおのずから糸に移行する。これは、彼の労働の質のせいであって、その量のせいではない』と言っている。労働の二重性の観点からのシーニアへの反論だ」などと話合いました。

◆次回は、日時は、8月13日(木)午後6時30分~8時30分。会場は、「アイセル21」第42集会室。内容は、第8章「労働日」第1節~第4節。持ち物は、『資本論』(新版、または新書版の第2分冊)

「現代経済学習会」 経済7月号「空洞化・属国化の克服と新たな資本主義の模索を(上)」を学習する


静岡市社会科学学習会は、7月21日(火)「現代経済学習会」を「アイセル21」で開き「空洞化・属国化の克服と新たな資本主義の模索を」を読み合わせ、意見交換を行いました。

 討論では「安倍内閣の成長政策である『日本再興戦略』が今までの自民党政権でも個拒み続けてきた米国の要求を全面的に受け入れ、経済的な属国化を仕上げるような内容である事が具体的に指摘されている。安倍内閣の売国的な性格にあらためて驚いている」「安倍内閣が長期政権となっている根本的な要因として、米国の経済的軍事的な要求を全面的に受け入れる事にある。米国の支配層と日本の多国籍企業にとっては最良の政権であり、日本国民と日本にとっては最悪の政権である。だから米国と多国籍企業は全面的に安倍政権を擁護し、その力で存続させている」「この論文が明らかにした日本の属国化の事実にあらためて驚いている。しかし、米国と日本の支配層が周到に進めてきた属国化の体制からの転換が出来るのだろうか」「米国の要求に対して日本経団連が反対の意見書を出しているとの指摘がある。しかし、これは15年も前の事で、現在の経団連の中枢は多国籍企業の幹部によって構成されている」「論文最後に『日本経済の未来も奪うもの』との指摘がある。野党だけでなく大企業の幹部や保守政治家も含めた、対米自立的な政権が模索できるのではないか」など意見が出ました。

◆次回、日時は8月18日(火)午後6時30分~8時30分。会場「アイセル21」第42集会室。内容「空洞化・属国化の克服と新たな資本主義の模索」下、読み合わせと討論。持ち物は、『経済』8月号。

「日本と世界の近現代史」第16回学習会・夜の部開く 第3章「20世紀末~21世紀初頭の資本主義」の世界1「自然・環境」~4「イデオロギー」を学習


静岡市社会科学学習会は、第16回学習会・夜の部を7月10(金)日に開き「『資本論』を読むための年表」の「第3章20世紀末~21世紀初頭の資本主義」の世界1~4」を読み合わせ、意見交換を行いました。

 意見交換では、「テキスト83ページに『ナノテク』とあるが何のことか」「ナノテクノロジーの略だと思う。82ページで『今日では機械工業の原理(客観的分割原理)と、とめどもなくすすみ、ナノメートルを超える『分割』にまで工学技術が発展していきます』とあり、この事にではないか」「生産力発展の秘密として手工業の原理から機械工業の原理への転換を取り上げ、今日ではこの転換、客観的分割が『情報世界』でおこり、ICT革命の原理となり、それが現代資本主義の生産力の飛躍的発展の要因としている」「テキストの88ページに『家族のあり方は、女性とジェンター平等の問題、高齢化社会などの問題と深くかかわっています』とあるが、女性の自立とりわけ経済的な自立の問題が書かれていないのは何故か」「この文書のテーマとして『性と生殖に関する健康と権利の概念』を取り上げている。この角度からの問題提起であり、認識の問題として取り上げている」「89ページには『すべてのカップルと個人が、自分たちの子供の数、出産間隔、出産する時期を自由にかつ責任をもって決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利』と書いてある」などの意見が出ました。

◆次回は、8月14日(金)午後6時30分~8時30分。会場は、「アイセル21」第42集会室。内容は、第3章「20世紀末~21世紀初頭の資本主義」の世界の5と日本。持ち物は、「『資本論』を読むための年表」(学習の友社)

「日本と世界の近現代史」第16回学習会・昼の部開く 第3章「20世紀末~21世紀初頭の資本主義」の世界1「自然・環境」~4「イデオロギー」を学習


静岡市社会科学学習会は、7月10日の午後、第16回学習会「アイセル21」で行いました。内容は、「第3章20世紀末~21世紀初頭の資本主義」の世界1~4です。

 討論では「テキストの82ページで人口知能の事などを触れているが『今日では、機械工業の原理(客観的分割原理)は、とめどなくすすみ、ナノメートル(nm、1ナノメートルは10億分の1メートルの長さ)を超える『分割』にまで工学技術が発展してきています』とあるが、ナノテクノロジーと良く合われるがどの様な事か」「『ナノテクノロジーとは、原子や分子の配列をナノスケールで自在に制御することにより、望みの性質を持つ材料、望みの機能を発現するデバイスを実現し、産業に活かす技術のことです。 ナノテクノロジーは素材、IT、バイオなど広範な産業の基盤に関わるものであり、21世紀の最重要の技術』と言う事だが、テキストでも言われているようにこのような技術が『資本の生産力』となり資本の利潤ために使われている所に今日の大きな問題がある」「テキストで『地球温暖化阻止をめざしての歴史的前進』とあるが、日本は世界の流れから立ち後れている」「日本二酸化炭素排出量は、2016年の時点で世界5番目で、その内訳を見ると、エネルギー転換が41%、産業が25%、運輸が17%、家庭は5%となっている。発電と鉄鋼業などで65%と大きな割合で、これを規制する事が必要だか、日本ではそのために政治の転換が求められているのではないか」「テキストの85ページのグローバリゼーションに関連して、日本でのグローバル化について資料では『日本は、自国の企業が海外移転し『グローバル化』して空洞化しただけでなく、米国企業がグローバル化するための要求を長年受け入れ続けて、自国経済を『属国化』し続け、二重のダメージを受けたのです。『グローバル化』とい名の生産の国外移転が資本主義そのものを大きく変質させ、歪め、揺るがせ始めました』と言う指摘がある。日本経済が長年成長できず、労働者の賃金が長年上がらず、格差が異常に拡大している背景に、このような事情があるのではないかと思う」などの意見が出ました。

◆次回は、8月14日(金)午後1時30分~3時30分。会場は、「アイセル21」第42集会室。内容は、第3章「20世紀末~21世紀初頭の資本主義」の世界の5と日本。持ち物は、「『資本論』を読むための年表」(学習の友社)

第9回『資本論』学習会開く 第3篇「絶対的剰余価値の生産」第6章「不変資本と可変資本」を学習する


7月9日(木)第9回『資本論』学習会を開き第3篇第6章を学習しました。

 討論では「364ページに『投機の法則』と言っているが、何のことか」「『価値革命にさいしては、加工されることのもっとも少ない形態にある原料に投機する』と言い人間の労働が加わっていない物の方が価値革命が大きくなると言っている」「資本を不変資本と可変資本に区分する事は、マルクス経済学の独創で、それは労働過程を価値増殖過程としても捉えた事、労働の二重性を発見した事などに関連し、貨幣の資本への転化の仕上げとも言えるのではないか」「359ページの『労働のこの無償の贈り物には気がつかない。労働過程の強力的中断すなわち恐慌は、彼にこのことを痛切に感じさせる』とあるが、どの様な事か」「その少し前に『価値を付け加えることによって価値を維持するということは、活動している労働力すなわち生きた労働の天性である。この天性は、労働者にはなんの費用もかからないが、資本家には価値の維持という多大な利益をもたらす』と書いてあり、労働者が労働力で生産手段を使い価値を創造する事は、同時に生産手段を使用する事は生産手段の価値を維持働きもしているを言っている」「労働の二面性からみた生産物の価値の移転と生産は分かりやすいが、この労働には事務仕事なども入っているのか」「経済的価値を生産する労働は、物的な生産物を作る労働である。しかし、その労働を周辺で直接支える労働、設計図を作成する労働、機械を整備する労働、工場の運営に必要な事務労働なとは価値を生産するとなる」など意見が出ました。

◆次回は、7月23日(木)午後6時30分より8時30分。会場は、「アイセル21」第42集会室。内容は、第7章「剰余価値率」。持ち物は、新版『資本論』第二分冊、又は新書版『資本論』第二分冊。