住民犠牲の沖縄地上戦と継続する米軍基地-沖縄のたたかい


静岡市『学習の友』学習会

6月号の特集は「沖縄、米軍基地をめぐるQ&A」です。読み合わせをした中で「沖縄問題の基礎」ともなる記事として、寺田英明愛知学習協常任理事の「沖縄の歴史と闘い」を紹介します。

1945年4月1日、沖縄本島へ米軍が上陸します。45万人の沖縄の住民は、戦場から逃げる機会を失い島に取り残されました。米軍の約1/4の沖縄守備軍は、本土からの一切の補給を断たれ、地下陣地での持久戦を決め、住民を動員します。軍部中央が「本土決戦の準備のため捨て石となって時間を稼げ」と命令し、南部への撤退との作戦変更をします。既に10数万の住民が南部で避難生活を送っていましたが、日本兵が割り込み「集団自決」「スパイ狩り」など住民を虐殺する事件が多発します。沖縄戦の正式な降伏調印式は本土より遅れます。3か月の地上戦で、正規軍人より一般住民の犠牲者がはるかに多かったのです。

沖縄の占領地は日本と切り離され、米軍の支配をうけます。住民は当初全島15カ所の収容地区に集められ、その間土地を奪われる人々もたくさんでました。1951年対日講和条約により、半永久的な軍事支配下におかれます。食糧難や米兵の犯罪行為が多発します。こうした中で沖縄の人々のたたかいも広がります。「核も基地もない平和な沖縄」「平和憲法への復帰」の強い思いが本土復帰へとつながっていきました。しかし、「経済格差」と「基地問題」は残され、現在に至っています。

コメントは受け付けていません。