「日本と世界の近現代史」第13回学習会・昼の部開く 第2章「日本資本主義発達史の165年を年表でみる」、日本資本主義発達史の年表をつくる。「戦前の日本資本主義」の特徴を学ぶ。


第13回学習会を3月13日に開き第2章「日本資本主義発達史の165年を年表でみる」、日本資本主義発達史の年表をつくると一「戦前の日本資本主義」の特徴を学びの意見交換を行いました。

 討論では「テキストの『なぜ日本だけが国家的な独立を保ち、急速な資本主義化に成功したのか、という問題もあります』と言っているが、なぜ日本は植民地にならなかったのか」「欧米ではアジアなどの国を、国の統治機構が弱いお遅れた国と統治機構がある進んだ国の分けており、日本は進んだ国との認識から日本の植民地支配に消極的だったのではないか」「ペリーを日本に派遣したアメリカは、その後南北戦争があり、日本に対する侵略所ではなかったのではないか」「日本の資本主義化を進めていくのに必要な資金を外国から借りる事なしに、国内で調達した。それだけ日本は江戸末期から国内に一定のマニュファクチャなどの発達があり、資本の蓄積が一定進んでいたのではないか。そのため外国の経済的支配を受けることなく資本主義化を進めることが出来たのではないか」「野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』では『資本主義的搾取の基礎たる、独立の生産者から生産手段および生活資料の引き離す過程』を明治維新は革命的に進めたとの指摘があるが、具体的には何があったか、年表Ⅱは1890年までを本源的蓄積が進行した時期としている」「年表Ⅱでは、69年に版籍奉還が行われ、同じ69年に土地私有公認があり、71年に田畑勝手作があり、72年に土地永代売買解禁行われた。これにより土地を与えられた農民は田畑を手にし自由に作物を作ることが出来るようになり、土地の売買もできるようになつた。しかし73年に地租改正により地価が決められ地価の3%地代として国に現金で納めなくてはならなくなり、やがて強制的に税金を徴収し、それが出来ない農民は借金をする。土地を売るなどで税金を納め、次第に土地を持たない小作農民が多くなり、88年には人口に対して47%を占めるようになり、1914年には、小作農民が人口に対して32%、労働者が30%を占めるようになった」など意見が出ました。

◆次回は、4月10日(金)午後1時30分~4時。会場は、「アイセル21」第12集会室。内容は、第2章2、敗戦から「戦後改革」へ~8、「日本資本主義は「第三の歴史的変革期」に入っている。まで。持ち物は、「『資本論』を読むための年表」です。

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